多様性について

息子を育てていると、自分の中の矛盾に気がつく。

のびのび育ってほしいと言いつつ、勉強しなさいと言ってしまう。お友達とたくさん遊んでほしいと思うものの、あの子はちょっと…、勉強の時間は…、と思う。好きなものを買いなさいと言いつつ、それよりはこっちのほうがと思う。

全部、矛盾してるな…と思いながらも、そうしている。

息子は「一般的な男児」で想像する男児とはちょっと違う気がする。
※この「一般的な男児」という言い方も好きでないけど、便宜上使うこととする。

たいへんマイペースで、競争心がまるでない。乱暴な言葉を使わず、殴る蹴ることもしない。暴れず、ドタドタうるさくもない。他の男の子がピンクの服を着ていても気にしない。科学や工学の世界に住んでいて、常に「このお肉を持ったまま高速で走ったら摩擦熱で焼けるのか?」「レゴでボウガンを作るには?」「こういった装置があったら便利ではないか?」と考えているし、考えていること全て私に話しかけてくる。

1年生のころ、帰り道でいじめられた。私からすれば「男子によくある強めのからかい」くらいの認識で、これの対処は簡単である。「そんなこと言うな!!!」と大きく一回反発すればいい。要するに、動物的に強いことをアピールすれば決着がつくのだ。

だけど、息子はそれができなかった。フィジカルが弱すぎた。そして、しつこい意地悪をかわせず、先生を巻き込んで話し合いに発展し、親、先生、子供、ほうぼう薄っすらとした不信感と、微妙な関係を残して終わった。

幼稚園では「みんな違ってみんないい」という教育で、小学校の「みんな同じ」に違和感を覚えていた息子は、それをきっかけに、いよいよ学校が好きではなくなった。

不登校まではいかないが、行かなくてもいいと言われたら絶対に行かないだろう。新学期の9月に入って、コロナの影響で分散登校になったときには、行かなくていいなら行かない、と家にいた。

家では、他のみんなは登校して勉強してるんだから、と、学校より学習強度の強い勉強時間を過ごしたものの、それでも学校には行きたがらなかった。9月の末に感染者数が落ち着いてきたころ、図工かなにかの楽しい時間をきっかけに再登校することにした。

多様性が重要だという。そう思う。みんな違ってみんないいと思う。それぞれが認められるべきだと思う。

だけど、今の学校では「人と違う」ことがすごくマイナスポイントにされてしまう。

近居の祖母が家の近くで使うようにと、青い長靴を買ってきた。雨の日に偶然それを履いていった。息子からすればなんてことない、普通の長靴だったし、私もただの青い長靴だと思っていた。

ところがそれはよく見ると「青い花柄」の長靴だった。帰り道で、件のいじめの少年たちに「花柄なんて変」とはやしたてられ、もう履かない…と落ち込んでいた。息子からすると柄などどうでもよかったし、言われるまで柄なんて気にもとめていなかった。

また、長期休暇前にお道具箱を持ち帰ることがあった。不足物の購入をと思い開けると、袋にピンクや赤系の折り紙だけがまとめられていた。これはどうしたの?と聞くと、件のいじめの少年たちが「女みたいで変」と言うので、嫌になって別の袋にしたと言う。

息子からすれば、折り紙の色などどうでもよかった。彼は飛行機を折ったり、なにか大事なことのメモのためだけに折り紙を使っていたので、ピンクだろうが何色だろうがどうでもよかったのだ。

いずれの問題も、未だに本人は「色柄はどうでもいい」と思っている。他人から言われたことで、価値観まで変わらなくてほっとした。

でも、何度もこんなことがおこるので、この地域にいることで、まわりの子たちと一緒にいることで、ずっとこんななの?と思った。私の気持ちは絶望に近かった。

ずっとずっと、こんななの?この子たちと、6年間一緒にいたうえに、さらに3年間一緒にいなくちゃいけないの?ちょっとずつ折られる経験を、9年もしなくちゃいけないの?そう思うと…。

多様性が大事だと言われているし、私もそう思っている。世の中にはいろんな人がいるし、それぞれ違う。9年間一緒に過ごさなくてはならない同級生だってそうで、「色柄が変だと言ってくる子」も多様性の一部なはずだ。

だけど、なんていうか、受け入れられないと思っている。多様性が大事なら、そういう子たちの多様性も受け入れなくちゃとは思うものの、言ってることとやってることがめちゃくちゃ。頭では多様性が大事といいつつ、内心では嫌だと思っている。

この矛盾した事柄をずっと考えていた。

自分の受け入れられるレベルでの多様性しか求めてないのかな、それってズルいのかな、とか。

それで…、最近は、違っていたら攻撃せずにスルーする集団にいてほしいと感じるようになった。多様性を重視するための下地がある集団。

その集団自体は、「多様性を重視する下地がある」という点では同質性が高いかもしれないので、本当の多様性じゃない…のかもしれない。

公立小学校のように、ざっと地域でひとすくいした集団が一番多様である、のかもしれない。だから、この「多様性を重視」の多様性っていうのが、「理想的な多様性」のことかもしれない。

矛盾してるなあと思う。多様的であってほしいと願う一方、多様性の中にある「同質性を求める人」からは距離をとりたいと思っている。

同質性を求める人が、多様性のある人をスルーして内輪で固まるのであればそれがいいんだけど。でも他人を変えることはできないので、息子が別の場を見つけるしかないなあと思っている。

peaco

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